電車内というのは、普通に生活をしている限り接点を持つことは一生ないであろう人同士が邂逅する随一の場所であり、またその中では誰もが絶対的な平等であるため、眩いばかりにすっとこどっこいな人を目撃することが出来る場所であると僕は思っています。
本日もやっぱり、僕はワシャワシャと電車に乗っており、幸運なことに座ることも出来たのです。
するととある駅で、年の端は僕と同じか少し若いくらいの一人の青年が乗ってきました。
彼は席につくと、おもむろにカバンの中から手帳を取り出しました。
僕は何の気もなく、気まぐれでひょいと彼の色彩鮮やかな手帳を覗いたのです。
するとそこには今週末のところに衝撃のワードが。
「オッパイ」
「おっぱい」ではなく「オッパイ」と書かれていた点から、彼の国際動物命名規約への深慮が見え隠れしていると言えましょう。
もちろん、そんな動物学に関するお話がしたいわけではなく、今までどこの世界に手帳に「オッパイ」と書く奴がいたというのだろうか?というお話ですよ。
僕の経験則に従って彼の著述を読み解くなれば、彼の今週末の予定はオッパイパブで女性のボディのけしからん部分を「ヨイッ、ヨイショッ、ヨイトマケッ!」と、あらん限り揉みしだくのでしょう。
僕も思わず「若いってのは、ええなぁ…」なんて西の空に思いを馳せそうになってしまったんですが、危ない危ない。
思い返してみましょう。
手帳には、スケジューリングを記入するという以外にも、過去の出来事を記したり、ちょっとしたメモ書きをしたりという使い方もあるはずです。
そして恐らく、彼はそのような使い方を念頭に手帳に「オッパイ」と書いていたのではないでしょうか。
僕は、友人や恋人の誕生日など、まったくもって覚えることが苦手な人間なので、片っ端から手帳に親しい人の誕生日を記しています。
決してクソッタレな僕だけではなく、このように、何かしらの記念日を手帳に記しているなんて人は少なからず存在しているのではないでしょうか。
彼の場合もそのケースだったとしたら。
彼が「オッパイ」とやけに目立つオレンジのボールペンで記したその日は、彼がこの世にババンと飛び出てから初めておっぱいを揉んだ日だったに違いありません。
おい、そこのおまえ。
かーちゃんのこととか思い浮かべてる場合じゃないんだよ、まったくよー。
かっちゃんのおっぱいなんて、おっぱいじゃねーよありゃ。
「豚に真珠」「母におっぱい」とか微妙に意味違うけど、並べたってあんま違和感ないでしょ?
そーゆー感じだべ?
っちゅーことで、彼は恐らく、かの日が訪れた暁には、あの日あの時あの場所で揉んだマイファーストオッパイを、頭の中で復活させるのです。
そして、その時のことを克明に、まるで丁寧なつくりのドキュメンタリーを見ているかのごとく再生し、その晩、荒ぶる肉棒をしごきたてるのです。
その精神は、全国津々浦々で行われている、奉納の儀ならびに祭などにも通じるものがあると言えましょう。
個人個人で、違っていい記念日。
ふと、昔を振り返り、あの時の自分に語りかけてみる。
「俺は、元気でやってるから、安心して目の前のおっぱいにむしゃぶりつきな!」
きっと、世知辛い毎日を癒し、慰めてくれるはずです。
さぁ、僕たちもあの日のことを思い出して、今すぐにでも手帳に「オッパイ」と高らかに書き上げましょう。
