えぇ、もちろん僕らの股間の眠れる獅子こと、チンコのお話です。
あまりやる気のない店員達が一切下げてくれないため、ジョッキをテーブルにたくさん転がしている男が4匹in Wara Wara。
そういった環境下での発言という点を勘案すると、もちろん笑い話のひとつとなるべきテーゼです。
しかし、彼の論調は極めて真剣そのものであり、僕らは「お、おぅ・・・」なんてヘソでココア沸かすような反応をするしかなかったのです。
いっときますけど、僕らが彼のチンコのことを話題に挙げたのではありませんよ。
自然に、ナチュラルに彼がその言の葉を紡ぎ始めたんですよ。
彼があそこまでエキサイトステージしてしまったのは、明らかにそこに劣等感というもの、もしくはなにか不幸な経験があったからなのでしょう。
そうでないならば、あくまで外の世界のお話に過ぎないけれど・・・といった風情で彼はチンコのサイズならびにそのキャパシティについてプレゼンすることができたはずなのですから。
というか、僕は彼のチンコが烈火の炎をまとった瞬間を見たことがないですし、彼自身、自分以外の男性の怒張したアイツを見たという経験はないはずなのになぜ・・・。
オブラートに隠してとは言えど、あそこまで自分のチンコがちっちゃいと高らかに宣言してしまうなんて・・・思わず見たくなってしまいますなぁ(ジュルリ・・・)
まぁその後、紆余曲折を経て結局僕らは彼のご本尊を見ることになったのだけれど、サイズより毛の長さを気にしたほうがいいと思いました。
トランクスの太もも側からはみ出てるってすげーよ。
でまぁ、思ったことといえば、チンコの大きさって男としての器のサイズに比例するんじゃないかなってことですね。
言い換えると、チンコが小さいことだけで、何をそんな卑屈になっているんだろうということです。
やっぱり、僕らは男として生まれたからには、引いてはならない時もありますし、守るべきもののために全てを賭ける時だってあるわけじゃないですか。
自分が糞ころがしのような人間だということをどれだけ自覚していても、プライドと言いますか、最後の最後に確固たる自分を持ち続けること、つまり、誇りを持つこと、これって大事なことだと思います。
そういった「漢」と書いて「男」と読むような番長的ダイナミズム。
いくら今が、かつての社会をひっくり返したような平成の世と言えども、男性は有しているべきだと僕は思うんですよ。
そこにあってですよ。
「チンコはサイズではない、膨張率だ」と訴えること自体が緊急事態なわけですよ。
捉えようによっては、自分の足りない部分を自覚して、なおかつそれに悲観・絶望することなく前を向くという、柔軟な姿勢を見てとることもできますよ。
でもやっぱり僕からすればその行為は、自分の男としてのちっぽけな尊厳を自らかなぐり捨てることにしか見えないんです。
別に世の女性達におわしましては、サイズだのなんだのは、それこそ余った皮のようにどうでもいいことなんだぜ。
でも僕らは心のどこかで自分のチンコのスペックを気にしてしまう。
だったらもういっそのこと、高らかにラッパを吹いていればいいじゃないか。
「彼女に黒人並って言われたんだ。」
もうそんくらいの訳わからん暴論をぶち上げましょうよ。
「アンタ、そないなこと言ったら、あんさんの彼女さん、黒人の跳ねるような正常位にヒィヒィゆうてたことになりまっせ?」
言語道断にシャラップ!
そんな眠い推理が聞きたくて言ったと思うか?
確かに彼はチンコが小さいかもしれない。
だったらなんだっていうんだ。
そんなことでいちいち騒ぐよりも、山を見て、海を見て、そして社会を見ようじゃないか。
「俺、ちっちゃいけど・・・」
なんてゴニョゴニョしてるよりかは、堂々とウソついちまったほうが、男としてデカイ気がするんだ、僕は。
ま、僕はチンコでかいですから関係ないですけどね。
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